大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)1989号 判決 1986年9月26日
原告
甲野太郎
右法定代理人後見人
甲野星子
右訴訟代理人弁護士
関伸治
被告
大阪府
右代表者知事
岸昌
右訴訟代理人弁護士
道工隆三
右同
井上隆晴
右同
柳谷晏秀
右同
青本悦男
右指定代理人
西沢良一
外三名
主文
一 被告は、原告に対して金一六二四万三五六七円及びこれに対する昭和五八年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分して、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。
四 この判決は原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
ただし被告が金四〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対して、金四七六〇万四七九八円及びこれに対する昭和五八年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 生命侵害の行為
(一) 被告は、大阪府淀川警察署において警察官に貸与するけん銃を、同署のけん銃管理責任者及び取扱責任者並びに取扱補助者をして管理せしめていたが、昭和五八年九月二六日午前一〇時半頃、同署勤務警ら課第一課第一巡査部長であつた訴外乙山一郎(以下乙山という)は、貸与を受けていたけん銃を保管庫に返却すべきであるのに、けん銃ホルスターからけん銃を抜き出し、空のホルスターのみを保管庫に収納して、けん銃を返却したかのごとく見せかけて、けん銃(ニューナンブ三八口径―以下本件けん銃という)を同署外に持出した。
(二) 乙山は、同月三〇日昼頃大阪市都島区片町のスーパーマーケットダイエー京橋店駐車場において、かねてから交際中であつた訴外甲野花子(以下甲野という)に対し、本件けん銃を発射して同女を殺害した(以下本件殺害行為という)。
2 過失
(一)(1) けん銃は、それ自体において性質上凶器であるばかりでなく、その取扱い及び携行が容易なうえ、一度人身に向けて使用された場合は容易に致命傷を与えうる武器である。一般人によるけん銃の保有保管が著しく制限され、他方、多数のけん銃を保有して保管する警察署が厳重なけん銃の保管規則のもとに管理体制をとるのはそれ故である。従つて、警察官けん銃警棒使用及び取扱規範(三七年国家公安委員会規則七号)による各警察署のけん銃管理責任者及び取扱責任者並びに同補助者は、その管理にかかるけん銃を確実に保管する義務を負うとともに、それが不法に奪取、搬出、使用されることによつて国民の生命身体財産に危害を及ぼすことを防止する一般的な注意義務を負担している。
(2) 更に、右注意義務に鑑み、現実にけん銃の収納に立会うけん銃取扱責任者及び補助者は、単に職務上の手続準則を形式的に遵守するだけではなく、けん銃自体が収納庫に保管されたか否かを確認する義務を負担するものである。
(二)(1) 淀川警察署の澤田和雄警部補は、昭和五八年九月二三日午前七時ころ、同署において、勤務明け所轄警察官のけん銃保管庫へのけん銃等の保管に際し、けん銃取扱責任者の命を受けたけん銃取扱補助者として、各警察官のけん銃収納の確認に立ち会つた。その際、乙山において、甲野の歓心をかうため勤務外の搬出を禁止する規則に反してけん銃を不法に搬出する意図で空のけん銃ホルスターのみを保管庫に収納したのに、ホルスターのうえからだけではホルスター内のけん銃の所在が確認できない構造になつているにもかかわらず、澤田警部補はホルスターが収納されていることからけん銃も収納されたものと安易に過信し、けん銃の所在の確認を怠つた。その結果、乙山は、同年九月二五日午後一時ころ正規の勤務に就くまで不法にけん銃を所持することになつた(以下第一次けん銃持出行為という)。
(2) 乙山は、右事実によつて淀川署におけるけん銃管理体制が極めてルーズなものであることを知り、職務外でけん銃を使用する場合には、いつでも不法にけん銃を搬出できるものと思うに至つた。即ち、淀川警察署のけん銃保管体制は、乙山にとつて無きに等しいものとなり、けん銃の野放し状態となつたのである。
(3) 同署の長池万吉警部補は、昭和五八年九月二六日午前一〇時半ころ、右記(1)同様の立場、状況、態様において、乙山のけん銃の確認を怠つた。その結果、乙山は、右同時ころから、逮捕された同年一〇月二日午後五時ころまで不法にけん銃を所持することとなつた(以下第二次けん銃持出行為という)。右けん銃によつて乙山は、甲野を殺害した。
(4) その上、乙山の勤務先の派出所には連日のように私用電話があり、複数の女性が弁当を数回ならず持参する、という通常の外勤警察官の生活の常規を逸したものがあり、また警察共済組合からの借り入れのほか同僚からも多額の金員を借り入れており、勤務成績は劣等で、また昭和五八年八月からは勤務状態も乱れ(休みが他の同僚と比べ増加しており、その結果、同年九月二五日には澤田警部補の事情聴取を受けている)、第二次けん銃持出行為の直前には、上司の指導を受けている状況であつた。更に、乙山は、同年六月から届出住所地である寝屋川市の警察官宿舎に全く帰らなくなつており、勤務警察官の所在把握は監督上司の責任であるのに、澤田警部補はその事実すら知らなかつた。上司として部下の生活状況とか素行を認識把握する義務があるのに、乙山の上司の澤田警部補は、右のように乙山については種々の問題があつたにもかかわらずその生活状況、身上、素行の把握を十分行なわないままになつていた。したがつて、右のような乙山の第一、二次けん銃持出行為以前の行動及び乙山の上司の乙山に対する監督義務を考慮すると結果回避義務違反もあつたものである。
3 因果関係
(一) 長池警部補の前記過失行為と本件生命侵害行為には相当因果関係がある。
警察官が貸与されているけん銃を勤務時間外に搬出すれば、そのことによつて右けん銃が不法の目的に使用される可能性があると当然予見できるところのものである。更に、不法にけん銃を持ち出した者が当該けん銃を使用することによつて、計画的にしろ偶発的にしろけん銃自体のもつ性質により人身の殺傷に至るべきことあるは見やすい道理であるから、けん銃の不法搬出を看過した長池警部補の前記過失から一般人において誰かは特定できないまでも右けん銃によつて人身に危害が加えられ殺傷に至るかもしれないという結果発生の予見可能性があり、しかも、前記の乙山の生活状況の把握に過失があつたことを加えると、より具体的に結果発生の予見可能性があつたのであり、右過失行為と本件殺害行為との間には相当因果関係がある。
(二) 澤田警部補の前記過失行為は以下の各点において乙山の第二次持出行為を誘発する直接の原因となつており、長池警部補の過失と損害の発生との事実的因果関係の形成に寄与している。
(1) 澤田警部補の右過失行為により第一次けん銃持出行為が容易に成功し、露見もしなかつたため、第二次持出行為について、職業倫理に由来する心理的抵抗感を喪失させ、第二次けん銃持出行為を容易に決意させるにいたつたこと。
(2) 乙山が本件殺害行為を行なうについて、いつでもけん銃を使用して、物理的心理的抵抗感なく甲野を殺害しうるという行為の機会と手段を与えてこれを強化したこと。
4 損害
(一) 甲野の逸失利益 三五六〇万四七九八円
甲野は、本件殺害行為当時二七才であつたから、本件殺害行為にあわなければ、平均余命の範囲内で六七才まで稼働可能であり、また、当時、国鉄京橋駅近くでホステスをしていた(なお、夜間は、城東区関目のスナックのいわゆる雇われママをしていた)のであるから、少なくとも三十五才まではホステスとして稼働できるはずであるところ、ホステスの純収入は一般女子労働者の収入より多額であることは一般経験則上推認できるので、労働省発表の昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表の女子労働者の産業計、企業規模計、学歴計の平均年収二〇三万九七〇〇円(136200×12+405300)の一・五倍を、三六才からは右平均年収を基礎とし、生活費として三〇パーセントを控除し、将来分については新ホフマン式計算により、次の計算式のとおり計算する。
三五才まで(八年間)
(136200×12+405300)×15×(1−0.3)×6.588
三六才から(稼働可能年数四〇年から当初の八年を控除)
(136200×12+405300)×(1−0.3)×(21.643−6.588)
(二) 慰謝料 一〇〇〇万円
原告は、甲野の子であるところ、昭和五七年六月二一日生まれで本件殺害行為当時わずか一才余りにすぎず、幼くして母を失つた悲しみは何事にも代えがたいものがあり、又甲野は生命を奪われたもので相応に慰謝されるべきであり、これら原告の慰謝料及び甲野の固有の慰謝料を合わせて金一〇〇〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用 二〇〇万円
原告は本件訴訟の追行を弁護士に委任せざるをえなかつた。その費用として金二〇〇万円を必要とする。
(四) 相続
原告は甲野の唯一人の子であり、唯一人の相続人であるので、甲野の死亡により、前記(一)の逸失利益及び同(二)のうち甲野分の慰謝料の損害賠償請求権を相続した。
5 よつて、原告は被告に対し、不法行為による損害賠償請求として金四七六〇万四七九八円及び不法行為の日である昭和五八年九月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は否認する。同(二)の事実中、原告主張の日に乙山がけん銃を返還しなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3の各事実は否認する。
4 同4の事実中、原告が甲野の子であり唯一人の相続人であることは認めるが、その余の事実は不知。
5 同5の主張は争う。
6 被告の主張
(一) けん銃保管に関する長池、澤田、両警部補の各行為は国家賠償法一条の「公権力の行使に当る公務員」の職務行為にあたらない。
本件において同人らの行なつたけん銃の収納確認事務は警察官に貸与されたけん銃の収納に立会い、保管依頼が確実に行なわれたかを確認することであつて公権力の行使とはいえない。
(二) 長池、澤田両警部補には過失がない。
長池、澤田両警部補は乙山のけん銃収納の確認の際に、けん銃ホルスターの存在を確認しただけで、ホルスターのふたをあけて中身まで確認しなかつたのであるが、部下を信頼しあえていちいち中まで開けさせて確認しなかつたものであり、そのことをもつて直ちに不法行為上の違法性を帯びた行為とみることはできない。
(三) 長池、澤田両警部補の行為と甲野の死亡との間には因果関係がない。
(1) 警察官が貸与されたけん銃を収納せず公務外でこれを所持したとしても、原告が主張するごとく、そのことをもつて直ちに「当然人の殺傷が予想される」ものでなく、そのようなことはむしろ稀有なことである。
(2) 本件においても、乙山の勤務状態は以下のとおりであり、その勤務状況から、本件けん銃による人の殺傷を予見することなど不可能であつた。
昭和五八年九月二五日乙山が午後一時の出勤時間に一〇分程遅れてきたので長池警部補は直接の上司である澤田警部補に乙山を面接の上指導するよう要請し、澤田警部補は同日午後一時四〇分ごろ淀川警察署において乙山の個人面接をしたが、その時はじめて、乙山が母と妻との折り合いが悪く同年五月ごろから妻と別居中であり、現在母宅に居住していることを知つた。翌二六日朝乙山は勤務を終えて非番となり、二七日は週休日、二八日は出勤日であつたが、朝乙山より「頭痛がするから休暇をとらして欲しい」との申出により年次休暇となり、二九日は非番日、そして三〇日の出勤日に乙山が無断欠勤したので長池警部補は澤田警部補に乙山の私宅訪問を要請し、一〇月一日午後三時二〇分ごろ澤田警部補は乙山宅を訪問し、同人の妻より別居中である旨を聞き、パートに出て帰りの遅い乙山の母宅には夜に電話連絡することとしていたのである。このように乙山の勤務は九月二五日から急に悪くなつたにすぎず、それ以外格別乙山に注意を払わねばならない状況はなかつたのである。
(3) また殺害の意図があればその方法はけん銃に限るものではない。さらに、殺害しようと思えば公務中に所持するけん銃によつてできないこともない。従つて、けん銃の持出しと本件殺害行為との間に法的因果関係があるとはいえない。
本件では次項に述べるとおり、乙山の殺意は相当に強いものがあつたとみられるのであり、けん銃が持出されていなかつたら、乙山の殺害行為がなかつたとはいえない。
三 抗弁
仮に、被告に何程かの賠償責任が肯定されるものとしても、乙山と甲野との間の交際の経緯、犯行の動機は以下述べるとおりであり、乙山の本件殺害行為は、原告の被相続人である甲野が真摯に結婚を望む乙山の気持をもてあそび、同人の不信感をことさら助長するなどしたことに起因するものとみられ、その点において甲野側にも多大の落度があつたものと言わざるを得ず、過失相殺がなされるべきである。
1 乙山は、昭和五〇年暮れ、訴外乙田雪子と結婚し、翌五一年三月ころから、枚方市内に建売住宅を購入し乙山の両親と同居するようになつたが、妻と両親との折り合いが悪くなつたため、同五二、三年ころ、両親と別れて寝屋川市内所在の寝屋川侍機宿舎へ転居し、再び妻と子供と三人で暮すようになつたものの、同五六年六月乙山の養父が死亡したことによつて、母との同居問題が生じ、これが原因で夫婦仲は急速に冷却し不仲となつていた。
2 乙山は、昭和五八年二月大阪市都島区所在のラブサロン「K京橋店」に飲みに行き、そこのホステスをしていた甲野と出会い、若くて明るい感じの同女に強く惹かれ、巡査部長として淀川警察署へ勤務するようになつて間もなくの同年四月中頃から、甲野に会うために同店に足繁く通うようになり、五月下旬ころからは勤務の非番や公休日には同店の開店と同時に甲野と同伴で入店して閉店まで入り浸りで遊興し、その費用もいわゆるサラ金などから総額四七〇万円ほど借金するなど同女に熱中した挙句、すでに破綻状態になつていた妻と離婚して甲野と結婚しようと考え、同年六月中旬ころ、妻子と別居して枚方市の母親の許に移り住み、七月には妻との離婚の話し合いもほぼまとまつていた。
3 乙山は、甲野の気を引くため自分は独身であるなどと言つてそれとなく同女と結婚したい旨を伝えていたところ、同月中旬ころ、甲野からその本名、離婚歴、子供のあること等を打ち明けられたため感激し、結婚を前提とした交際を申し込み、同女の子供や実母らを誘つて海水浴に行くなどして家族ぐるみの交情を深め、その結果同年八月初旬ころ甲野と初めて肉体関係をもち、その後は前記「K」に行き、閉店後、大阪市内のホテルで同女と一夜を共にすることを繰り返すようになつたが、その時点でも同女から、その住所や電話番号などを教えてもらえないことに不安を感じていた。
4 そのようなことから、乙山は、甲野が自分以外の男性とも交際しているのではないかとの疑いを抱き、同月中旬ころ、甲野に対しその点をただしたところ、同女が以前から前記「K」の店長山田太郎と愛人関係にあつたことから「山田という人がいる。これからは一郎ちやんと天秤にかけてみるわ」などと答えたため、乙山はこれに衝撃を受けたが、甲野を他の男にとられたくないとの思いから、同女に「K」をやめ他店で働くように求め、同女もこれを聞き入れ、同年九月から同城東区所在のスナック「M」に移つた。
5 その後、乙山は甲野が結婚について明確な態度をとらないので、甲野の決意を促す意味もあつて寝屋川市内に将来二人で住むための賃貸マンションを借りることに決め、その手付金の一部も支払つたが、甲野の方は山田への未練が断ちがたく乙山に対し「毎日逢つていると新鮮味がないので暫らく離れてみようか」と言つたり、二人で金沢へ旅行した時にも殊更冷淡な態度を示したところから、焦慮の念を抱いていた。
6 その矢先、同月二二日、甲野から「一度けん銃を見せて欲しい」といわれ、同女の歓心を買うため、これに応じて勤務明けの翌二三日朝、本件けん銃を返却することなく無断で持ち出し、甲野に見せるなどしたが、同女の態度は好転せず、かえつてその際同女から一人で旅行に行くことの了解を求められたり、乙山が同女の誕生パーティに出席することを断わる態度を示されたため、甲野に対する不信感は一層深まつた。
7 乙山は、甲野の誕生日である同月二四日の夜、同女と山田との関係を思うと寝つかれず、思い悩むうち、山田に同女をとられることになれば、最早生きる望みもなく、その場合には、いつそ甲野をけん銃で射殺して自らも自殺する外ないなどと思い詰めるに至り、同夜、母宛の遺書を書いたうえ、同月二六日朝の勤務明けの際に、貸与の実弾五発が装てんしてある本件けん銃を再び無断で持ち出し、甲野が自分から去つていくことが判明次第いつでも甲野を殺せるように、これを身につけておくことにした。
8 乙山は、同月二八日甲野が乙山に「しばらく逢わんとこう、旅行から帰つて逢うことにしよう」などと言い出したので、いまにも同女が別れていつてしまうのではないかとの切迫した気持に駈られ、翌二九日もう一度同女に乙山の真剣な気持を理解してもらうため、母と引き合わせ、その後、甲野と二人で大阪市内のホテルに泊つた。
9 乙山は甲野と共に同日午前一一時ころホテルを出て、同女が再び勤めはじめた前記「K」まで同女を送るため乙山運転の普通乗用自動車に同女を乗せ大阪市都島区所在の株式会社ダイエー京橋店の立体駐車場へ向つたが、甲野とこのまま別れてしまえば、同女が山田と一緒に旅行に行くのではないかと不安になり、この際同女に対し乙山に妻子のあることを打ち明けた方が同女も離婚歴があることを負担に思わないのではないかと考え、途中、同女に対し、自分には妻子がある旨告げたところ、期待に反して、同女が急に黙り込み、右駐車場内に入るや突然「別れたげるわ、別れたらええんやな、ほんなら別れたげるわ」といいだしたので、乙山は驚いてその真意を確かめたところ、同女が重ねて「別れたげるわ、もうこれきりやで、これきりやで」と荒々しい口調で言い返し、横を向いてしまつたため、同女の心が完全に乙山から離れてしまつたことを実感するとともに、これほど尽してきたのに、自分の誠意が踏みにじられたという同女に対する怒りがこみ上げてきて、同女に裏切られ、他の男にとられてしまう位なら、この際、同女を殺して自らも自殺しようとの決意を固め本件殺害行為に至つたのである。
四 抗弁に対する認否
争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実は当事者に争いがない。
二右事実中のけん銃管理行為が国家賠償法一条に定める公権力の行使に当たるか否かについて検討するに、警察は個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもつてその職責とし(警察法二条一項)、けん銃の使用はその職責を全うするに必要な手段であり(警職法一条、七条)、右目的のためのけん銃の使用が公権力の行使に当たることは明らかであるところ、右けん銃管理行為はこのけん銃使用と不即不離の関係にあるものというべく、国家賠償法一条所定の公権力の行使に該当するものと解すべきである。
三過失について
<証拠>を総合すると次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠は存しない。
(一) 乙山は、昭和四二年に大阪府巡査を拝命し同府下警察署で勤務した後、同五八年三月一二日より巡査部長に昇格し、同時に淀川警察署警ら課第一係勤務となりパトカー乗務及び派出所勤務に就いていたものであるが、同年二月から三月にかけて近畿管区警察学校初級幹部科一般課程に在学していた当時、同僚と遊興中にラブサロンでホステスをしていた甲野と知り合つた。当時乙山は結婚し妻の連子を養子としていたが、妻と両親との不仲などから夫婦関係は悪化していた。乙山はそのような事情も手伝つて甲野にひかれるようになり、同年四月頃から同女がホステスをするラブサロンに足繁く通うようになり、同年五月頃からは勤務の非番や公休日には同店の開店と同時に甲野と同伴で入店し閉店まで過ごすなど、勤務時間以外はいわば同店に入り浸りの状態となつた。右遊興の費用等に充てるため同年五月一一日から九月一四日にかけて乙山の借入れた金員はサラ金から三三四万円、大阪府警信用組合から一二〇万円、同僚の警察官から一〇〇万円合計五五四万円の多額にのぼつていた。そして、ついには妻と離婚しても甲野と結婚しようと考え、同年六月中旬頃からは一方的に妻と別居し生活費も満足には入れないなど家族を顧みないようになり、七月には離婚の話し合いもまとまるなど同人の私生活の状況は急速に悪化していつた。さらにこの間勤務先の派出所に数回に亙り甲野らから弁当を届けられるなどしたほか、甲野との交際のため同年八月には二日、九月には第二次けん銃持ち出しまでに三日の年次休暇をとり、後記のとおり同女の歓心をかうため同年九月二三日にはその職務上貸与されたけん銃を勤務先から持ち出すなど勤務の上にもその影響が及ぶに至つた。同月二五日には勤務への遅刻や妻との別居のことから上司である澤田警部補から生活状況に関する面接と注意を受け、その際同警部補に妻との離婚のことなどを説明した。ただし、この際にも甲野との交際やサラ金からの借金また同月二三日のけん銃の持ち出しのことは説明しておらず、同警部補らにおいても同女の存在には気付いていなかつた。乙山は甲野の気をひく為自分は独身であるなどと言つてそれとなく同女と結婚したい意志を伝えていたが、同年七月中旬頃には同女に対して結婚を前提とした交際を申し込み、同年八月初旬からは肉体関係をもつようになり、ますます同女との仲を深めていつたが、その時点でも同女から、住所や電話番号を教えてもらえず、そのことに不安を感じていた。当時甲野は別の男性とも愛人関係にあり、そのことは同月中旬頃には乙山の知るところとなつたが、甲野はこの愛人関係を清算せず、かえつて両者を天秤にかける旨を伝えたので、乙山は大きな衝撃を受け同時に嫉妬心を燃やす事となつた。その後も乙山は、同女との結婚を強く望み、将来二人で暮らすマンションを借りるため手付けを打つたりするなど同女の歓心をかおうと努力したが、同女は結婚について明確な態度をとらず、かえつて同年九月一〇日頃以降は「毎日会つていると新鮮味がないのでしばらく離れてみようか。」などと冷淡な態度を取つた。乙山は同女のこのような態度は前記の男性の存在によるものと考え不信と焦燥の念にかられていたが、同月二四日の同女の誕生パーティへの出席を断られたことから絶望的な気持となり、前記の男性に同女をとられることとなればもはや生きる甲斐もない、その場合には同女をけん銃で撃ち殺し自分も自殺する外ないと考え、これに使用する目的で、被告から貸与を受けていた本件けん銃を、勤務先である淀川警察署から無断で持ち出すことを決意するに至つた。
(二) 当時乙山は淀川警察署警ら課警ら第一係第二運用区に所属し、その直接の上司は係長澤田警部補であり、さらに間接の上司として総括係長長池警部補がいた。右澤田警部補は前記のとおり昭和五九年九月二五日乙山の約一〇分の遅刻を契機として同人の身上の一斑を知り、長池警部補の助言を得て、続いて生活指導に着手し、乙山の妻に面接し、母にも面接せんと計画したが実施せず、右生活指導に着手する時期が遅きに失したためその効果を上げるに至らないまま、乙山が本件殺害行為に及んだ。
(三) 本件けん銃が持ち出された当時、大阪府警におけるけん銃の使用及び取扱いについては、まず「警察官けん銃警棒等使用および取扱規範」(昭和三七年国家公安委員会規則第七号―以下本件規範という)一六条、一七条並びに「大阪府警察官けん銃警棒等使用及び取扱規程」(昭和三六年大阪府警本部訓令第一八号―以下本件規程という)二ないし四条の定めるところによればけん銃の管理責任者、取扱責任者及び同補助者を置くこととされ、乙山の勤務していた淀川警察署においては管理責任者は署長、取扱責任者は副署長及び警ら課長、同補助者は警部補以上の階級にあるほとんどの者と定められていた。各警察官は本件規程六条一項により原則としてけん銃を貸与され、本件規範一三条一項により制服を着用して勤務するときは、けん銃を携帯するものとされるが、本件規程一一条一項により駐在所勤務の場合を除き、本件規範及び規程上けん銃を携帯しなくてもよい場合及び勤務時間以外においては、けん銃は、すべて取扱責任者に保管を依頼することとされ、私的な立場においてけん銃を所持することは許されていなかつた。そして本件規範二〇条はけん銃の保管の責めに任ずる者の職務上の注意義務を定め、その一つとしてけん銃を放置し、盗まれ、遺失し又は奪取されることのないようにして保管に最善の注意を払わねばならないと規定していた。さらに、本件規範一七条二項は管理責任者は、警察官が、長期欠勤または心身の故障のためけん銃を保管することが適当でないと認められるときには貸与にかかるけん銃の保管の責を解き、取扱責任者にこれを保管せしめることができる旨規定していた。そして、本件規程一〇条、一三条により各警察署にはけん銃保管のため格納庫及び保管箱を設置し、けん銃の保管出納は取扱責任者に申し出て行ない、取扱責任者または同補助者はけん銃等委託保管簿に押印したうえ、けん銃の出し入れに立会うべき旨規定されていた。右規定に基づき淀川警察署においてもけん銃格納庫及び個人別の保管箱を設置し、署内の全けん銃を収納する体制をとり、前記のとおり取扱責任者または同補助者の立会いのもとにけん銃の出納を行なつていた。ただしけん銃はけん銃ホルスターに格納された状態で手錠警棒などと共に個人別保管箱に収納される慣行であつたところ、当時のけん銃ホルスターは蓋付で完全にけん銃をおおう構造であり、蓋を閉めた状態では中身が確認できないものであつたが、収納時に同署の取扱責任者ないし同補助者は一々ホルスターの蓋を開け真実けん銃が収納されているか確認することはしておらず、かつこの点について確認を要求することが職務上困難であつたりなんらかの不都合をきたすような客観的な事情は存在しなかつた。
乙山は昭和五八年三月一二日淀川警察署に赴任した際、本件けん銃の貸与を受けていたが、同年九月二三日午前七時ころ勤務明時にけん銃保管箱へけん銃を収納するにあたり、これに先立つて「一度、けん銃を見せて欲しい。」と甲野から求められていたのに応じ、その歓心をかうため、本件けん銃を前記規程に反して署外に搬出する意図でけん銃をけん銃ホルスターから抜き出し、空のけん銃ホルスターのみを保管箱に収納したが、当時けん銃取扱補助者として、これに立会つていた同署の澤田警部補は、前記慣行のとおりホルスター内にけん銃が収められているものと軽信し、蓋を開けて中を確認しなかつた。この結果乙山は本件けん銃の持出しに成功し(この時乙山がけん銃を返還しなかつたことは当事者間に争いがない)、同月二五日午後一時ころ正規の勤務に就くまで規程に反して本件けん銃を所持することとなつた。
さらに、同月二六日午前一〇時半頃、乙山は同じく勤務明時にけん銃を保管箱に収納するにあたり、今度は甲野の殺害に使用するため前記と同様の方法でけん銃を署外に持出すことを企てたが、けん銃取扱補助者としてこれに立会つていた同署の長池万吉警部補は前記澤田警部補と同様けん銃ホルスター内のけん銃の確認を怠り、その結果乙山は本件けん銃を署外に持ち出すことに成功し(この時に乙山がけん銃を返還しなかつたことは当事者間に争いがない)、これを用いて本件殺害行為に至つた。
以上の認定事実にもとづいて過失における注意義務及びその違反の有無について判断することとなるが、その前提として警察所轄庁におけるけん銃管理の重要性を指摘しなければならない。
けん銃は、本来的に人身等を殺傷する用に供するため作製されたいわゆる性質上の凶器であり、威力が強大で一旦使用されると相手に容易に致命傷を与えることができるうえ、その形状、重量、機構の点から持ち運び及び操作が容易であり、また秘匿性が高い。従つてこれが適切な管理を離れて不法の目的を持つ者の手に渡れば人身に重大な危害を加えられる高度の危険性があり、かつけん銃が適切な管理の下を離れた後には、一般市民の側で自らこれを防衛回避することは殆ど不可能に近い。そしてけん銃が適切な管理体制の下にあるあいだであつても、常にこのような事態を生ずる潜在的な危険性が存在する。銃砲刀剣類所持等取締法三条が他の銃砲刀剣類と共にけん銃の所持を一般的に禁止し、例外として警察法六七条により小型武器の一種としてけん銃を所持することを許されている警察官の場合にも前記のとおり厳重な管理体制が取られるのは、けん銃の持つこのような危険性にもとづくものであると考えられる。けん銃の不法使用を防止するためにはまず第一に各警察所轄庁においてけん銃の所在を確実に把握し、とりわけ勤務終了時にけん銃が確実に取扱責任者に返還され、不法に庁外に持出されないよう管理する体制を取り、かつこれを実行すべきである。
そこで本件について検討する。
前記認定の各事実を総合すると、昭和五八年九月二六日の第二次けん銃持出行為の直前には、乙山において甲野との交際の行く末を悲観し自暴自棄の心理状態であり、その職務上貸与された本件けん銃を持出しこれを利用して甲野を殺害する危険が充分にあつたといわなければならない。このような場合、前記のけん銃管理の重要性に鑑みると、乙山の直接、間接の上司及びその貸与を受けたけん銃と管理する者はけん銃管理のために必要な限度においてとはいえ乙山の生活の乱れ等を察知すべく努め、かつこれによるけん銃の不法持ち出しの危険を予見して、けん銃の収納にあたつては、けん銃ホルスターの中に真実けん銃が格納されていることを確認したうえで、これをけん銃保管箱に収納し、事件の発生を未然に防止すべき義務を負つていたものというべきである。しかるに、乙山の第一、二次けん銃持出行為の当時上司である澤田及び長池警部補は乙山の生活指導に着手したものの、時すでに遅く、その効果を生じないまま、これをけん銃管理に関連づけるに至らず、二回に亘つてそれぞれけん銃の収納に立会つていた右両警部補が、けん銃ホルスターの蓋を開けて本件けん銃を確認せず、結局第二次けん銃持出行為を阻止しえず本件殺害行為がなされたのであるから、このような澤田及び長池警部補の行為は右予見義務及び結果回避義務に違反し、過失のそしりを免れない。(以下本件過失行為という)
四因果関係について
以上認定の事実にもとづいて考えると、本件過失行為と甲野の死亡との間に事実的因果関係が存することは明らかである。そこですすんで、相当因果関係について検討する。
以上認定事実から次の諸点を指摘することができる。
1 けん銃管理は、けん銃自体のもつ危険性のために、きわめて慎重でなければならず、それゆえ警察所轄庁のけん銃管理手続等が具体的かつ詳細に定められていること。
2 しかし本件において淀川警察署の本件第一、二次けん銃持出行為当時の現実のけん銃管理は収納時にけん銃ホルスター内部の点検までは行なわないという傾向があつたこと。
3 本件第一、二次持出行為の際に収納に立ち会つた澤田及び長池警部補は共に右1及び2の事実を知悉していたこと。
4 現に乙山は殺害の意思をもつて本件けん銃を持ち出し、これを用いて甲野を殺害したのであるが、それは本件過失行為があつてはじめて発生したものであること。
以上の諸点を総合して考えると本件過失行為と甲野の死亡との間には相当因果関係が認められるものというべきである。
被告は乙山の殺意は相当強度なものであり、仮に本件けん銃の持出しがなかつたとしても結局は別の手段により甲野の殺害を遂げているから因果関係がない旨主張するが、本件全証拠によつても、乙山が、本件けん銃が手許になかつたとしても、他の方法によつて結局甲野の殺害を遂げていたとの事実までは認められず、被告の主張は単に抽象的な可能性があるというに止まり、因果関係の認定に影響を与えるものではない。
五損害について
1 逸失利益
<証拠>によれば本件殺害行為の当時甲野は満二七歳の女性でスナックのいわゆる雇われママとして働いていたほか時々はラブサロンのホステスのアルバイトをしており、かつ大きな病気にもかかつておらず普通の健康状態であつたと認めることができる。
ところで、原告は経験則上いわゆる雇われママないしホステスとして働く女性の純収入は一般女子労働者のそれより多額であり、甲野の年収は少なくとも昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者の平均年収の一・五倍となる旨主張するが、一般にいわゆる雇われママないしホステスとして働く女性が継続してこのような高収入をあげることができるか必ずしも疑問がないとはいえないから原告の主張は採用できず、ほかに原告において甲野の収入についてなんらの立証をしないから、本件殺害行為当時の甲野の収入は少なくとも前記センサスの産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者の平均年収(きまつて支給する現金給与額は月額一三万六二〇〇円、年間賞与その他の特別給与額四〇万五三〇〇円、総計二〇三万九七〇〇円)を下回ることはないものと推認することができる。
そして弁論の全趣旨によると満六七歳までの四〇年間は稼働しうるものと認めることができ、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につき新ホフマン式計算法を用いて甲野の逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり金二二〇七万二六一三円となる。
(136200×12+405300)×(1−0.5)×21.643=22072613
2 慰謝料
前記認定の本件事件の経過及び結果から原告及び甲野の被つた精神的苦痛には計り知れないものがあると認められるが、本件過失行為は乙山の故意行為を介して本件結果の発生に至るという間接的な因果関係を持つに止どまることその他以上認定の事実にもとづいて考えると、原告及び甲野の慰謝料はこれを合計して金三〇〇万円が相当である。
3 相続
原告が甲野の子であり唯一の相続人であることは、当事者間に争いがなく、結局原告は甲野の死亡により、前記1の逸失利益及び前記2のうち、甲野分の慰謝料の損害賠償請求権を相続したものと認められる。
4 弁護士費用
原告が本件代理人に本訴の追行を委任し、相当額の報酬の支払いを約していることは、弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額、控除すべき中間利息額に鑑み、被告に対して賠償を求めうる弁護士費用は金二〇〇万円が相当である。
六過失相殺について
本件殺害行為に至るまでの経緯は前記三において認定したとおりであつて、甲野において別の男性と愛人関係にありながら、一方で乙山との交際を続けるなど真摯に結婚を望む同人の気持をもてあそび、不信感を助長する行為に出た事実が認められる他、甲野に第一次けん銃持出行為を行なわしめ、よつて被告のけん銃管理体制を自ら弛緩させた事実が認められ、これらの事情はいずれも本件殺害行為発生の一因をなしていると認められ、被告との関係においては、公平の見地からこれらの事実を考慮して被告の責任を減縮するのが相当である。
従つて前記認定の「損害」について前記認定の一切の事情を斟酌して、その四割を減縮することとする。
七結論
よつて原告の本訴請求は国賠法一条一項所定の被告の公務員の不法行為に基づく損害賠償請求権として一六二四万三五六七円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年九月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一、三項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官東 孝行 裁判官松永眞明 裁判官夏目明德)